20年以上にわたって網膜の再生医療研究に携わり、現在は公益社団法人NEXT VISION理事として視覚障害者の社会復帰支援に取り組まれている高橋政代さんに、網膜再生医療研究の最先端について、そして、視覚障害者の就労・活躍にあたって社会や企業が果たすべき役割を伺います。
公益社団法人NEXT VISION理事
高橋 政代
1961年大阪府生まれ。京都大学大学院医学研究科博士課程修了。1995年にアメリカ・ソーク研究所の研究員として網膜の研究を続け、2006年に理化学研究所へ。2014年、同発生・再生科学総合研究センター(現・多細胞システム形成研究センター)網膜再生医療研究開発プロジェクトリーダーとして、iPS細胞を使った網膜手術を世界で初めて行った。現在は公益社団法人NEXT VISION理事のほか、株式会社ビジョンケア代表取締役社長を務めている。
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眼の健康にかかわる先端医療や治療方法の現在と未来
網膜再生治療の最先端
私たちは、これまで25年ぐらいにわたって網膜再生の研究を続けてきましたが、ようやく臨床に到達したというところです。網膜について私たちは2種類の細胞を使っていますが、このうち2014年にiPS細胞からつくった「色素上皮細胞」で世界初の移植手術を行いました。これまで5例実施して安全性が確認され、今後は効果をみる治験に入っていきます。もう一つの「視細胞」についても今年、厚労省の専門部会から了承され、世界初の移植手術を実施することが決まりました。
一般には誤解されやすいのですが、臨床というのは、何よりもまず「安全性」を確認しなければなりません。新薬も、まず安全性を重視した上で、少人数での治験で効果をみたうえで大規模な治験を実施し、十分な検証を経て発表するため、開発から世に出るまで10年はかかります。私たちの場合は動物実験のときから注目されてきたこともあり「まだなのか」と言われることもありますが、実際には、ものすごいスピードで進めようとしています。
ところで、こうしたiPS細胞を用いた移植手術は「再生医療」と呼ばれているため、「再生=元通りになる」というイメージを持たれる方もいます。しかし実際の効果としては、限られた部分が「少し改善する」あるいは「悪化を抑え込む」といった程度です。私たちの1例目の患者さんの場合は、定期的な眼球への注射が不要になりましたが、劇的に視力を上げたわけではありません。将来的には華々しい改善を実感できる人が出てくるかもしれませんが、大多数の患者さんはロービジョン(低視力・弱視)であり、視覚障害が解決するわけではないのです。
私たち再生医療にかかわる人間は、現実的な効果を最初から分かっているので、患者さんたちの医療への期待感が高まるなかで、ロービジョンの日常生活を多角的に支援する「ロービジョンケア」こそ、しっかり取り組む必要があると思っていました。本来は、あくまで再生治療とロービジョンケアがセットになっていなければ意味がないのです。
ロービジョンケアの必要性から、アイセンター内にケアの場を設置
ロービジョンケアを担う方たちは、もともと地域の視覚障害者センターや点字図書館などにいらっしゃいます。これまでも私たち医師は外来診療で、治療による劇的な改善が見られず、日常生活の支援が必要と判断した患者さんにロービジョンケアを紹介してきたのですが、実際に出向いた方はごくわずかでした。半年に一回の定期受診よりもはるかに役立つのですが、利用しない方の中には「治療によって治りたい、元通り回復したい」という気持ちを捨てられない、「自分が障害者であることを受け容れられない」という心情があるようです。また、明確な効果が分かりにくい、気軽に行きづらいというのもあるかもしれません。
そこで、自分ではなかなか足が向かない方も来院時にキャッチし、利用を促したいという思いを込めて、2017年に「神戸アイセンター」を設立しました。
神戸アイセンターは「病院」「ビジョンパーク」「研究所」「細胞培養施設(CPC)」が同居した施設です。このうちビジョンパークは、視力低下による困難さを抱える人々が、生きる意欲を取り戻すための気づきを提供し、挑戦と成長を促すことを目的としたロービジョンケアの場です。世界3大デザイン賞のひとつとされる「International Design Excellence Awards (IDEA) 2019」環境デザイン部門の銅賞を受賞しています。
ビジョンパークは公園という位置づけなので、アイセンターの2階玄関から入ってすぐの開かれた空間となっています。ランチ時には近隣の会社の人たちの憩いの場になり、世界初の「光るボルダリング」も利用できます。インクルーシブな世界をイメージしており、段差もあります。「危険だ」と心配する声もありましたが、「病院はバリアフリーで絶対安全とされていても、一歩外に出たら危ない場所ばかりなのはおかしい」という考えから、コンセプトを「守られた危険」にしたのです。そしてあちこちに白杖を置きました。患者さんがなかなか持ちたがらないので、いかに白杖が便利か試してもらう場にもなっています。
ここに、ロービジョンケアにかかわる20超の団体から相談員が交代で来てくださっています。私たち医師は、来院した患者さんに連絡用紙を渡して「2階で相談してください」と案内できます。医療と福祉の窓口が一つにつながったことで、それまでの10倍以上の患者さんが相談するようになりました。また相乗効果として、これまで横の連携がなかった団体同士の接点もできました。お互いに情報共有し、これまで教育・福祉現場から就労現場に変わるときに途切れていた支援が、うまくつながってきたと感じています。
最近は、ここで企業による実証実験も行われています。たとえば駅構内で白杖を持った方が近づくと「この先段差があります」といったアナウンスを出すタイミングや音の大きさを試す実験。企業側は「想定していた見えない人と、本当の見えない人では全然違っていた」と驚いていました。改良を重ね、JR神戸駅などで実現化されています。
ここまでロービジョンケアを前面に押し出したところはないですが、こうした多機能なアイセンターは海外には数多くあります。以前、インドのアイセンターを視察したのですが、そこではロービジョンの人が教育を受けてIBMに入社していました。その人たちが職場で活躍し、センターに教育役として参加して次の人たちを育て、いまでは大勢の視覚障害者がIBMではたらいているそうです。理想的なあり方の一つですね。
視覚障害者は就労し、活躍できる
視覚障害者の就職支援の難しさ
視覚障害というのは、同じ病気であっても、心の持ちようによって活動や生活の質が全く違ってきます。「視覚障害のとらえ方」によって活動性も変わるわけです。実際のケースを数多く見てきましたので、私の外来では、まず精神的に元気づけることを重視しています。
目が見えなくなっていくというのは、いろいろなパターンがありますが、「いつごろどうなるか」が分からず不安な人たちが来院されます。私たち医師は「これぐらいの期間で、こういう順序で悪くなります」となるべく明確に説明します。すると、自分の生活や仕事をどうしていくか計画を立てやすくなり、笑顔で帰っていかれる方も少なくありません。
私自身、患者さんを元気づけるスキルはかなり持っているつもりですが、悩ましいのは「就職」です。今は様々なツールやデバイスがありますから、工夫する人は目がほとんど見えなくてもどんどんはたらいています。NEXT VISIONの情報マスターでもあり、視覚障害リハビリテーション協会会長の和田浩一さんは、全盲でも白杖を持ってアイススケートを楽しむ62歳ですが、昔からIT機器を使いこなしているので全く不自由はないとおっしゃっています。逆に、そういったスキルを持たない場合は、いったん目が悪くなって職を失ってしまうと、再就職は大変です。支援の一番難しいところでもあります。
支えられる側の人たちを、支える側の人たちに。NEXT VISIONの取り組み
そこで私たちは2014年、視覚障害にかかわる研究・治療からロービジョンケア・リハビリ・社会復帰までを一気通貫で解決しようと「公益社団法人NEXT VISION(ネクスト・ビジョン)」を設立しました。使命は「支えられる側の人たちを、支える側の人たちに」です。
ここの活動のなかで、企業の皆さんに知っていただきたいのが「isee!(アイシー)運動」です。視覚障害に関するさまざまな情報を提供しながら、社会全体の理解と支援を広げていくというものです。「視覚障害者のホントをみよう」という目的を掲げていますが、言い換えれば、皆さんのイメージとは全く違いますよ、というメッセージでもあります。
例えば、視野の真ん中だけは視力1.0でスマホ操作もできるが、白杖がないと電車に乗れない視覚障害者がいます。その方は、自宅での事務作業が得意です。精神疾患などを持つ方は短時間勤務のほうがいい場合もありますが、視覚障害は移動が困難なだけで、勤務時間に配慮する必要はありません。今回のコロナ禍では健常者も通勤困難に直面し、それでも仕事ができることが証明されましたが、これは視覚障害者にとってはチャンスだと思っています。私たちも、たとえば病院に来た患者さんに、そのまま病院ではたらいてもらうことも可能ではないかと考えています。
「障害者=重度の人たち」?企業や社会に潜む偏見
国内の視覚障害者164万のうち全盲は18.8万人、145万人がロービジョンの方たちです。そして雇用現場には視覚障害をもつ人が3000人に1人は必ずいるはずですが、それを隠している人がたくさんいます。家族にすら、悪くなるまで言わない人もいます。逆に考えると、悪化しない限りは何とか生活できており、職場でも「ちょっとミスが多いな」「よく人や物にぶつかっているな」程度に思われているのかもしれません。
彼らが障害を隠す理由は「視覚障害というだけで『仕事ができない人』のレッテルを貼られてしまう」という不安があるからです。実際に、ひと昔前は病名を告げた途端に退職を迫られたというケースも聞きました。
いまだに企業側には「障害者手帳を持っている視覚障害者は、何もできないのではないか」という先入観を持っている人が少なくないように思います。これは視覚障害に対するイメージの問題です。企業側の、ひいては一般社会の人たちが抱える「情報障害」といえるでしょう。これほど「障害、障害者」へのイメージがいつまでもマイナスなのは、これまで重度の人ばかりがフォーカスされ続けたことで「障害者=重度の人たち」という感覚に偏りがちになっているからなのかもしれません。
視覚障害に限らず、様々な障害にも言えることですが、重度から軽度、そして健常者までグラデーションで地続きになっているのに、障害者と健常者との間でぷっつりと分断されてしまっています。特に真ん中の人たちが、社会に隠れてしまっているのです。
「誰もが不自由を抱えている」障害への意識を変える
NEXT VISIONでは5年前から、視覚障害者の社会復帰と戦力化を目的に「isee! "Working Awards"」を開催してきました。「就労」に焦点をあて、視覚障害者がどのようにはたらくことができるかという事例やアイデアを募集して表彰しています。職場で自分たちの見えないことについての課題を、さまざまな工夫によって解決しようと積極的に動いている人たちのアイデアや事例を、今後は広く実装できる仕組みや道筋もつくっていけたらと考えています。
そして私はいつか、世の中に隠れている視覚障害者の「カミングアウトデー」をつくりたいと思っています。「実は見えていませんでしたが、頑張って仕事してきました」と宣言してもらうのです。どれだけ多くの視覚障害者が混じっていたか分かり、視覚障害者のイメージも一気に変わるのではないかと思っています。
視覚障害のことを理解するには実際に接してみるのが一番ですが、私は当事者にも「自分の見え方をしっかり伝えないといけない」と助言しています。外来でも、ひたすら「見えない」と訴え、どう見えないのか説明してくれない患者さんがいます。周囲にも「こう見えないから、こうしてくれたら大丈夫」とアピールすればいいのです。「分かってくれない」ではなく「分からせる」ようにしないといけません。アイセンターでは「目の見え方、伝え方講座」も開催しています。
近ごろは、職場などで「言ってみたら案外大丈夫だった」「堂々と合理的配慮を受けられるからありがたい」という人も増えてきました。ありのままの状態で職場にいてもいい、という安心感が大事です。
これからは、どんな障害があっても誰もが安心してカミングアウトできる社会にしないといけません。私がいま提唱しているのは「みんな障害者である」ということです。近視で老眼の方はメガネを忘れると視覚障害者です。ITが使えない人や英語ができない人も障害者です。みんな何らかの不自由を抱えているのに「社会は健康な人、不自由のない人だけでできている」という幻想がよくないのです。このマインドを変えていかないと、いつまでも「かわいそうな人を仲間に入れてあげる」という感覚から脱することができず、本当の意味でのインクルージョンは実現しません。
「バリアバリュー」…障害には世の中を良くする価値がある
もうひとつ、企業のみなさんに分かっておいてほしいことがあります。それは、障害のある人たちは、ニーズを持つ価値ある人たちでもあるということです。「バリアバリュー」という言葉がありますが、私たちの再生医療がなぜ進んできたか、なぜiPS細胞が生まれたかというと、障害のある人たちのニーズがあるからです。それがおしなべて一般の人たちのニーズにも役立っていきます。
こうした例は世の中にはたくさんあります。パソコンの音声入力やストローやライターも、もともと障害のある人のために考え出されてきたものです。いわば「イノベーションを起こすネタを持っている人たち」なわけです。企業はまだまだ障害者のバリューを生かしていません。
目薬などで有名なある製薬企業では、自社で視覚障害者を雇用し、健常者と共にはたらいてもらったことで、健常者の社員が「視覚障害とはどういう障害で、どのようなニーズがあるのか」が分かるようになり、薬だけではない様々な課題解決のヒントをもらっているそうです。
近年はテクノロジーの発達によって、障害が補われるだけでなくエンハンスメント(強化)されて、一般の人間より能力が高くなることもあります。たとえば視覚障害者のために文章を読んでくれるメガネが開発されていますが、これは100カ国語ぐらいを日本語に翻訳もしてくれます。また、NEXT VISIONで理事を務める三宅琢さんがデジタルロービジョンケアとしてiPadやiPhoneの活用法を広める活動をしていますが、受講する視覚障害の皆さんは、ITに関しては私よりもはるかに能力が高く驚かされます。こうしたエンハンスメントの動きは加速し、どんどん新しい技術やデバイスを駆使して、見えなくても不自由なく能力を発揮していけるようになっていくでしょう。
もはや障害が欠損だとかかわいそうだとか、そういう時代ではなくなりつつあります。すでに雇用の場においては、企業も、そこをきちんと理解したほうがプラスになるというインセンティブになっています。一歩進んだ企業としてアピールできるだけでなく、はたらき方を変えるきっかけにもなりますね。世界全体も、そういう流れに向かっています。もっと多くの日本企業が、本当のインクルージョンのあり方に気づいてほしいと思っています。そして社会に隠れた多くの障害者が、社会を支える側として活躍できる社会の実現に向けて、私たちも、できることがあれば喜んでお手伝いしていくつもりです。
最後に、伊藤亜紗先生の本で読んだ好きなエピソードも紹介しておきます。あるとき自宅で、見えない友達と話していた人が「お風呂のお湯がたまったか、ちょっと見てくる」と言ったところ、その友達は「音で分からないの?不便やなあ」と返したそうです。
私達は、見えない人たちのことについて、分かっていないことがまだまだありそうですね。
※所属・役職は取材当時のものです